近畿地方から送るゆる~いブログ

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近畿地方から送るゆる~いブログ

近畿地方、主に滋賀県からお送りする雑記ブログです。映画や読書、滋賀県の素敵な観光地からお食事まで様々な事をご紹介したいと思います。

滋賀県大津市で起きた園児死亡事故で保育園側が責められているのがよく解らない

先日の滋賀県でのニュース

先日8日に滋賀県で悲しいニュースが起きた。事件が起きた大津市大萱は私も何回か通ったことがある道なので、速報として出た時はかなり驚いた。ニュースを見ている人で知らない人はいないかも知れないが原因は「直進車が来ているにも関わらず右折した車が直進車に衝突し、直進車が歩道側に衝突してしまった」という。

 

news.tbs.co.jp

 

 私としては滋賀県で起きたニュースなので様々なニュースサイトやメディアなどで今回の事件を見ていましたが1つ疑問に思った事は「メディアが保育園を責めようとした瞬間」が私としてもよく解らなかった。どのような点に疑問が起きたのか、少し書いてみたいと思います。

 

保育園側に責任があるのでは?という姿勢が気になった

私が一番最初に気になったのは「ミヤネ屋」で「なぜ保育園側はこんな危険な場所で散歩をしていたのか」という報道があった。

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事故があった交差点というのは私も運転していて思うのは確かに交通量が多い場所ですが信号も設置され、周辺には車が視界を失くすような建物も無い。この先には公園があり、そこで遊ぶ事が多かったようですが、これに関して言えば同じような環境で散歩をして遊びに行く保育園や幼稚園というのは多いのではないでしょうか。

news.livedoor.com

そしてその後の保育園側の記者会見。あれは胸が痛かった。まだ対応が追いついていない場面で記者からの質問。「どんな様子で出ていったのか」「危険な場所という認識はあったのか」「園児たちにどういった声をかけてあげたいか」。そんな質問に涙を流し、質問に答える事が出来なかった園長先生の姿を見ると私は悲しい気持ちになってしまった。

 

もっとよく考えて質問してあげてほしかった

そもそも私は記者会見をする必要は無かったと思っているのですが、記者会見での質問はもっと考えてしてほしかったと思いました。まだ今回の事故は報道されると思いますが、私としては保育園側をしばらくソッとしてあげて欲しいと思ったので、今回はこんな記事を書いてみました〈完〉

自由を求め不登校を選んだ少年革命家YouTuberの子供が最近のニュースの中で一番違和感があった話

革命家という言葉に違和感を覚えたYouTuber

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知っている人も多いと思いますがGW中に少し話題となった少年。「ゆたぼん」という沖縄在住の子供ですが、最近見ていたニュースで一番衝撃というか、時代なのか...。そんなことを考えるような内容だった。

 

「不登校は不幸じゃない」という言葉をYouTubeを使って発信している少年ですが小学三年生の時に「宿題を拒否すると放課後や休み時間を使って宿題をやらされた事に不満を抱いた」そうで「担任のいうことを聞く同級生がロボットに見えて、自分までロボットになる」と判断し不登校になった。

 

一番最初に書きますが私は「学校に行かない」というのは1つの選択肢で否定はしないですが、ただ「ロボットにみえた」というフレーズが何とも胸がザワっとすると言いますか。「行かない」という選択肢の理由にして良いものだろうかという疑問が生まれたので今回記事にしてみました。

 

言う通りにする事が果たして”ロボット”なのだろうか

一番疑問に思ったのはこれ。例えば大人や現代の子供を見ても”学校”という場所はやっている事は基本同じだと思います。ダンスやプログラミングが必須科目になったりと時代に合わせて変化はありますが、それ以外は同じ。

 

登校し、授業を受け、学校内のルールに従って生活をする。これは大人になっても変わらないと思う。出社し、仕事をして、会社のルールには従う。

 

高校の時に私が先生から言われたのは「学校というのは授業は勿論だけど、大人になった時に困らないようなルールや忍耐なども学べる場所」と言われた事があります。勿論学生生活を送る上での一部大切な事としてですが。

 

活動をしていると「死にたい」という子どもから相談が寄せられることもある。そういう時は友達になり「死ぬな。苦しむな。学校なんて行かなくてもいい」と言い続けている。(琉球新報引用) 

 

この「死ぬのであれば学校に行くな」というのは正しいと思うので、これには参道出来ます。仮に自分の子供が「死にたい」と言ったら迷わず、じゃ行くなと私は言うことでしょう。ただ今回のYouTuberの10歳で「自分もロボットになりたくない」という理由で不登校を選んだ事は同じ子供を持つ親御さんの反応は厳しいように感じます。

 

私もこういった記事を書く上で、ゆたぼんの動画を色々見させて貰いました。玩具で遊ぶ様子やお菓子を食べる様子は子供そのものなので、それが余計にね....。学校に行かなくなった分、必要最低限のルールや教養を学ぶ際、大人になって学ぶとなると小学校の1年と大人の1年は違いすぎるという事を誰かが教えてあげてほしいと思った。

 

『追記:6月3日 大検発言で私は「この子の考えで発言してるのではない」と確信

先日公開された動画で「幼稚園卒」としか履歴書に書けないよ。という一般ユーザーのコメントに対し「それは違う」とコメント。「小学校、中学校は行かなくても卒業出来る。今後、いきなり勉強して、大検とって、大学いくかも知れない」と言っていましたが、さてここで疑問が生まれる。

 

なぜこの子は「大検」という言葉を知っているのだろうか。「大検」が廃止になったのは2004年なので、ネットで調べれば出てくる単語として「高卒認定試験」になっているはず。きっと彼は「これは自分の考え」とコメントするかも知れないが、私としては”確信”へと繋がる瞬間だった。

 

YouTubeでの発信は逆効果だったように感じた

全世界に発信するという意味でYouTube程便利なものは無いですが、彼はまだ10歳。なにかを発信する事に対して遅い早いは無いですが”少年革命家”という肩書には早すぎると感じた。改めて言いますが不登校は不幸とは私も思わない。大人になっても様々な理由で休職する場合もあるので同じことだと思いますが、大人になればなる程、休職する上で失われるものが大きい事に気づくので、彼がその事に気づけるか。

 

今はまだ10歳ですが、それが5年後、10年後となった時に「昔学校に行かなかった事によって得られたもの」と語れたら100点満点かも知れませんが、そうじゃない場合。ネット社会で残したものは後々追いかけてくるので、それが心配だと思った(完)

『祝令和』平成元年生まれの私が自分の30年間を振り返ってみようと思う

平成30年という歴史

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私は平成元年の1月生まれなので本当に平成と共に生きてきたと言って良いかも知れない。202年ぶりの退位の礼が行われ、世の中はすっかり令和ムードになっていますが、平成という世の中はどうだったのだろうか。

 

テレビでも「平成を振り返る」とニュースなどでやっていますが、阪神淡路大震災の時は4歳か5歳。そういった話をいつもの飲み仲間(40代)と話すと「そっか。。俺働き出した頃だな」という会話になることも多い。

 

そう平成前半というのは私は子供で大人になって知ったことが非常に多いのだ。「たった30年生きた程度で平成を振り返る?バカじゃないのか」と言われるかも知れないが、私が思う平成を振り返ってみようと思う。

 

消費税が生まれた時から当然だった平成前半

平成元年に生まれた私としては「消費税」が当たり前ようにあったのだが、導入されたのは平成元年。当時の人に聞くと「3%多く取られるので違和感があった」と言いますが、令和元年の現在は8%。後々に10%になろうとしていることを平成元年の人が聞いたら驚くかも知れない。

 

私は教科書で習ったベルリンの壁崩壊も平成元年11月となります。当時はこのニュースばかり放送されていたと言いますが私は全く知らない。私の人生で後々、興味が出てきたのが「美空ひばり」である。

 

美空ひばりが亡くなったのは平成元年6月。私は全く知らないが、私の母が美空ひばりの大ファンで昔、京都嵐山に「美空ひばり館(現在:東映太秦映画村)」に小さい頃からよく連れて行って貰った。

 

小さい頃というのは本当に小学生の時で当時の私は演歌の良さなども解るはずなく、母親が行きたいと言った美空ひばり館に行くのが非常に抵抗があった。しかし段々と年を取っていく事で私自身も美空ひばりがいかに凄い人だったのか。理解する事によって段々と好きになったのを覚えています。

 

話を戻し1995年。阪神淡路大震災。当時も滋賀県でしたが早朝に起こされた記憶が現在でもあります。当時のニュースは曖昧ですが印象に残っており、その後学校やニュースで取り上げられるようになってから「震災は怖い」というのを教えて貰いました。

 

後に東日本大震災で改めて震災の恐怖を知る事になるのですが”平成”という世の中は「自然災害」がキーワードになる30年だったと思います。

 

遊ぶものが沢山あった”平成”

ファミコンやスーパーファミコンなどの家庭用ゲーム機やゲームボーイなどの外でも遊べるゲーム機器で毎日のように遊んでいた平成。今では「ポケモンGO」ですが当時は「ポケットピカチュウ」や「ヨーカイザー」など万歩計機能+ゲーム性を追求した小型ゲームがブームとなりました。

 

子供の時ですからあの当時は歩かずに手で降って何千歩。何万歩という数字が出ても朝~晩まで時間があれば万歩計を降っていました。後、小型ゲームで言えば「デジモン」もブームになりましたね。ゲームも話題となりましたが、私が好きだったのはアニメ版のデジモン。2016年に他界された和田光司の「Butterfly」は今でも同学年の友人とカラオケ行く歳の十八番になる程、好きでしたね。

 

私の中で平成で大きく変わったものは家庭用ゲーム機の進化も驚きましたが、ゲームセンターの進化にも非常に驚きです。今年に入り友人と久しぶりにゲームセンターに行ったのですが、ゲーム画面が非常に綺麗ですね。あれには感動しました。後、UFOキャッチャーのアームの弱さにも驚きましたね。景品がそれなりの価値があるのか解りませんが、欲しいと思ったフィギュアを取るまで600円程かかりましたよ....。

 

Windows95を触った時の感動

私が小学生の時に「パソコンルーム」というのが作られ、そこに導入されたのがWindows95でした。その当時、授業で何をするのか。それはただタイピングやイラストを書いて「パソコンに触れて貰う」というのがメインでした。

 

今でこそ「プログラミング授業」などがありますが、当時は「パソコンに子供が興味を持ってもらう」という事が大事だったので難しい事は無かったのですよ。

 

それにWindows95のパソコンで現在のゲーミングパソコンが余裕で買える値段だったので、あまり一般家庭に無かったですね。一般家庭でよく見るようになったのはWindows98かWindows2000ではないでしょうか。私の家ではWindows2000で当時の「ダイヤルアップ接続」だったので「テレホーダイ」というプランで親が契約していました。パソコンを触るのが私と姉だけだったのですが、画像を見るのも大きい画像だと途中で切れてしまい保存出来ないのがイライラした覚えがあります。

 

その当時のパソコンを考えれば数十年でここまでITが進化したと思うと素晴らしい事だと思いますね。ただ「本を見て調べる」という習慣が無くなりつつあるのは少し寂しいですが。その点は便利になりましたが、当時は良かったと思えるポイントでもあります。

 

 アニメオタクになった”平成”

私はどちかと言えば”真面目”というよりは”不真面目”だったのでよく生徒指導室に呼ばれ両親に迷惑をかけた思い出が多々ありますが、高校から現在までガッツリ「アニメオタク」となったと昔の自分が知ると何を言うのだろうか。

 

高校もクラスの半分は元ヤンキーや現在進行系の奴がいたりと、良い学校ではなかったですが、そんな中にヤンキーなのに当時のアニメで「ローゼンメイデン」というのがあったのですが、それを凄くオススメされ気づいた時にはオープニングテーマを歌っていた「ALI PROJECT」のチケットを取っていた程好きになっていた。

 

人間というのは真面目になるのは時間がかかるのに腐敗するのは一瞬である。アニメオタクが腐敗とは言わないが深夜のバイト中に携帯地デジでアニメを観ていた私は腐敗していたと言えるのではないだろうか。当然当時も現在も問題行動である。

 

今でこそアニメオタクという事に対し世の中で”気持ち悪い”と思う人は減ったが、2005年同時は”キモい”とハッキリ言われたり「オタク狩り」というのもあったりと何かと物騒な世の中でしたね。昔の記憶を1つ書くのであれば、私をオタクの世界に引き込んだ友人とアニメイト行った際、帰りにオタク狩りに合いましたが、友人が路地奥に進み、オタク狩りをした相手が泣いていたのは凄く印象的だった。

 

うつ病になった”平成”

このブログではずっと前に「私が鬱だった」ということを書いた事があります。

 

www.yuruiblog.com

 

もう鬱病の薬を5年ほど飲んでいませんが”鬱病”という言葉を他人行儀。もしくは当時「鬱病って人に言うのが恥ずかしい」と思っていた自分がいました。しかし克服してから書くのは可笑しいと思うかも知れませんが「鬱病は誰にでもなる病気」だという事。これは鬱病になった事が無い人は解らないかも知れませんが、急になるんですよね。

 

私の場合は朝起きようと思ったら体が動かない。朝支度をしていると涙が出てくる。これは可笑しいと思い精神科に行くと診断結果は「鬱病」でしたね。予兆はあったんですよ。遊んでいても、何をしていても達成感がない・楽しくない。でも「精神科」に受診するというのは「内科・外科」と違い自分の中でブレーキをかけてしまうんですよね。

 

「本当に自分は鬱病なのか」「ただ疲れいるだけじゃないのか」。こんな事が頭に過ったりするので中々行けませんが私が言える事は「悩まず受診」ですね。これは本当に悩んでいる人が多いです。

 

社会人になった”平成”

今はフリーランスで活動していますが一番最初に入社したのが「不動産業界」でした。ハッキリ書けば2週間だけいましたが。なぜ2週間でやめたのか。

 

通常であれば「新卒で入った会社を辞めるのは今後キツイ」と言いたいのですが朝7時~深夜2時だったので体力的に「あ、これはマズイぞ」と思い早い決断をしましたね。当時はまだ鬱病の薬を飲んでいたので、その労働時間について行けなかった。

 

募集では「朝8時~夜9時」と書かれていましたが2週間でお昼ご飯を食べれたのが3回。お昼休憩なども無く、深夜2時まで残って何をしていたかと言えば「上司が残っているから残れ」というブラック&ブラックな会社だった訳ですね。

 

極めつけは朝礼が1時間あり前日の処理に問題があった社員は上司が平気でファイルを使って叩く。これを見た私は「あ、辞めよう(*´∀`*)」と思った訳です。

 

それからPC関連の資格などを持っていたのフリーランスとして活動していますが、今なら解る。あの会社の募集には「アットホーム」と書いてあった事を。社会経験がある人ならお解りですよね?

 

失われた30年と言われているが”今後”の良い経験になる

経済用語で言えば平成というのは「失われた30年」と言われているらしいですが、昭和を知らない私からすれば良い経験の土台になる30年だったのではないだろうかと思いますね。

 

良い面で見れば”IT業界”はこの30年で素晴らしい進化だと思います。その良い例が「YouTuber」や「e-スポーツ」だったり。昔だったら職業と言えばいジャンルで何十万~何千万。トップの人は何億と稼いでいる。ブロガーだって同じことだと思います。eスポーツは解りませんが、YouTuberやブロガーは今後、減っていく可能性も十分ありますが「好きな事で稼ぐ」を実現出来た時代だったと思いますね。

 

令和になりどのように進化していくか解りませんが「東京オリンピック」や「大阪万博」など。まだまだ未来は沢山あるという事に期待して楽しく過ごしたいと私は思いますね。

平成の名曲 50選

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